Contents
大切なことこそ自分で考える癖をつける
約1ヶ月半の間、エビリファイで脳の興奮を落ち着かせた。
6才の子供に、この薬を飲むメリットは何もなかったと、今は思います。
言葉、表情、喜怒哀楽も少なくなり、おとなしい子になる。
薬を服用することで、学校では扱いやすく、家庭では手がかからなくなる。
本人も好奇心が薄らいでいるのか、興奮することもなく体力を消耗することはない。
大切なことこそ、物事の決断を他人任せにしてはいけない。
薬の服用を通して、自分で考えて決断する大切さを改めて感じました。
医師の診断
暴れて自傷行為をしてしまう
とか
他者に危害を与えてしまう
などがなければ、薬を飲む必要はないと思いました。
小学校から薬を勧められて初めて処方してもらうことになった時に、薬について担当の医師に聞くと
「とりあえず弱い粉薬から始めてみて1ヶ月様子を見てみましょう。薬が合わなかったら違うものも試してみましょう」
というので
「娘に合う薬というのはどう判断すればいいのでしょうか?」
と聞くと
「お子さんの状態を見てお母さんの判断で」
と言われました。
診察時は、小学校に入学してまだ1ヶ月も経っていないということもあり、環境に慣れるまで様子を見てからじゃないと医師でもわからなかったのでしょう。
良い子になりました
服用を始めてから数日後あたりから小学校の先生は、娘が言葉数が少なく静かに座っている様子を見ると満足げに
「薬が効いていますね、良かったですね」
とうれしそうに話します。
逆に活発で元気な時や、ちょっとしたことで泣いてしまった日には
「今日も同じ時間に薬を飲ませてきましたか」
と聞かれるほど薬の力を過信しているようでした。
少しずつ私の中で違和感を感じ始めていました。
学校に行くために薬で娘を作り上げているような感覚…
社会性というのは一体何なのでしょう。
集団にきちんと馴染むことなのでしょうか。
勝手に作られた常識を疑う
「ひとつめのくに」という本の様に、一つ目の国に行けば2つ目の人が化け物の目で見られます。
今の常識が将来の非常識になってしまう可能性が高いと誰かがおっしゃっていましたが、今の医学の常識だってわかりません。
薬を飲ませることは正解か不正解かなんて、未来の娘を見てみなければ誰にもわからないことだと思います。
だから、先生の話を鵜呑みにして物事を決めてしまうのは危ないと思うのです。
エビリファイは「脳内の神経伝達物質ドーパミンに作用して過剰なら抑えて、不足しているなら働きを補って適度な量に調整し、不安定な精神状態を安定させる」と説明がありましたが、これは聞こえはいいですが、悪く言えば要は無気力人間にしてしまう薬だと思います。
機会損失により成長しない
生きていく為に本来必要な社会性というのは、自分の要求を抑えて我慢したり協調して話を聞くだけでは身につかないと思います。
集団の中で自分に不都合が起きた時に、例えば友達や兄弟喧嘩で傷つけたり、傷つけられた経験から善悪を学んで、その経験が基盤となって成長していくのだと思います。
ですので、薬によってそのような小さな衝突や葛藤を無くしてしまうことは、成長する機会を損失しているのです。
もちろん薬を飲まなければ、他害行為により周囲の子供に迷惑をかけてしまったりすることがあれば問題ですが、娘は他に危害を及ぼすような行為はないのです。
娘は約1ヶ月半薬を服用しました。そして、服用をやめました。
私の娘の場合、服用をやめてから約2ヶ月間が経って様子は劇的に変わりました。感情の起伏が以前よりあるように感じますが、言葉が増えて色々なものに興味を持つようになりました。
もしあのまま毎日薬を飲ませていたら、無気力人間になってしまっていたと思います。
薬を飲ませていないことは私と旦那さんの勝手な判断なので全て自己責任です。
なので実際服用している方にやめたほうがいい、と勧めているわけではありません。
娘を見る周りの目が気になる
娘が発達障害と診断されてからは、それまで以上に人様にご迷惑をかけないように神経をつかって生活していました。
知らないところで誰かを不快にさせていたら嫌だったのです。たくさんの人がいるモールなどでは娘の視線の先にまで気にしていました。興味のあるものをジッと見てしまうことがあるのです。バッグなどの持ち物ならともかく、隣のテーブルに運ばれた料理だったり顔や体を直視していたり、遊びで突然変顔をしてしまうこともあるので、ずっと監視しているような感じでした。
周りの目を気にしすぎる私に
「大きな声を出したっていいじゃん、そのためにご近所さんが離れている田舎の一軒家に決めたんだろ」
と旦那さんから言われた時は気持ちが少し楽になりました。
その通りで、田舎に引っ越してからというもの、家にいる時は心が解放されて居心地がよく子ども達ものびのびと自由に過ごせています。私も神経をつかってピリピリすることもなく子どもも感情豊かに育っているこの環境はとてもありがたいです。でも学校に通わせるには大きな声を出したり迷惑行動は問題になります。
なので学校に通う為にはやはり薬の服用が必要なのかもしれないとも思いましたが、学校に通わせる為に服用しないといけない薬って、娘には何のメリットがあるんだろうと考えました。薬の服用は私や学校の都合であって、娘に他害や生命の危険がない限り、メリットはないと判断しました。
とはいっても、学校や学校に通っている他の子供に迷惑をかけるわけにはいかないので、泣いたら直ぐに迎えに行く(早退する)旨を伝えました。
実際、薬の服用をやめたことで泣いたり騒いだりするトラブルはありませんでしたが、何か勘違いをしてしまった先生が
「36.9度の熱があるのでどうします?」
「ちょっと眠そうなのですよ、どうします?」
「疲れちゃったみたいなのでどうします?」
「お家に帰りたいと言っているんですよ。」
と判断は保護者に決めさせて早退させる類いの連絡が増えてしまいました(-_-;)
娘が学校に迷惑をかけているのは確かなことなので、学校で帰らせたいと思うなら迎えに行くのは親の仕事だと思い、すぐに駆けつけます。
誰も教えてくれない答え
薬の服用に関しては何が正解なのかわかりません。
でも、発達障害の娘と生活していて思うことは、病気と違って薬で治るものではないということです。
生まれながらに体が不自由だとしたら、治したい気持ちも勿論あるとは思いますが、自分の体と上手く付き合って生きていくことを学ばなければいけないと思うのです。
そのためには、薬の力を使って成長する機会を損失していては成長はないのです。
子供は無限の可能性を秘めていると信じて、日々の子育てに奮闘していきたいと思います。
ここまで読んでいただき、ありがとうございました。
考えさせる記事でした。
私が親だったらどうするだろう。
また、日々学校という場所に行き、なるべくみんなと同じような行動、学習ができるようにという目標の元、児童を支援をする私にとっては、心に刻まなければならない記事だと思いました。
きょうこ様
コメントありがとうございます。
固定概念にとらわれず、娘の成長を一番に考えて、生きていくうえで必要な教育と環境を与えてあげられたらと思います。
だれも教えてくれないのは自分が悩み答えを出すためであるんじゃないか?となんとなく感じさせてくれるような記事でした。